日本テレビ「誰も知らない泣ける歌」2008年10月14日

 


関西テレビ 「スーパーニュース ANCHOR

 


女川でのコンサート石浜地区2011.6月
伊藤秀隆編集


「親愛なる母上様」



腰塚勇人さん「命の授業」テーマソング「ドリームメーカー」

あかぶちの眼鏡の華さんのこと

アルバムを作ると聞いた華さんは地下室を用意していました。冷蔵庫まで運んで、ベッドを直して、寒がりの僕に電気毛布まで。。家に行く前の日に電話で明日楽しみにしてると会話をしました。当日姫路のお寺から宝塚の家までの車の中で娘さんから電話がありました。「少し具合が悪いけど先に家で待ってて」と伝言を受けました。その10分後もう一度電話があり病院に来てくれと言われました。病院に着くと既に亡くなっていました。けどまだ体は暖かく、僕が声をかけたらピクっと動きました。何がなんだか訳がわからぬまま、呆然としてその日はいったん姫路に帰りました。寺に着いてお母さんに「どうして帰ってきたの?」と言われた時に初めて起きた事が分かりました。涙がドバっと出て「華さん死んじゃったの。。」と言いました。お母さんは葬式でなんども死と対面してるけど、いつも悲しいと言ってくれました。

次の日また家に行くと家はたくさんの人であふれていました。家族、親戚、知人。誰も僕の事を知りませんでした。唯一娘さんだけは話を聞いていたので部屋を見せてもらいました。付けっぱなしの電気カーペットが直前まで僕を待っていた事を物語り、歯ブラシやら小さな机は倉庫から引っ張りだす途中でした。病名は忘れましたが胸が痛むと救急車を呼び病院に着いたら胸の中は血でいっぱいだったそうです。

 

華さんとの関係を話し、部屋をアルバム制作の為に使わせて欲しいというとしぶしぶ了解してくれました。その日から3日間。バタバタする中その部屋で泣きながら「親愛なる母上様」のレコーディングと制作をしました。

地下からは華さんの眠っている部屋の灯が見えました。前はそこから手を振ってくれたのでいつか出てこないかなと、夜中ずっと見てました。花が好きだったので庭は花だらけ。そしていつも娘さんの事話してました。瓜二つだからいつも衝突ばかり。。けど私があの子のつらさを一番知っている。。そして息子さんの事。。そして亡くなった旦那さんの事。いつも早く旦那に会いたいと言ってました。けど「まさくんが頑張ってるからもうちょっと生きてみようかな」って言ってくれたのが嬉しかったんです。

 

親戚の人たちには「華さんとはどんな関係で?」と言われました。それもそうです。けどきちんと言いました。「あしながおばちゃん」をしてくれてました。。と。

葬式の時には娘さんがお母さんが大好きだった「親愛なる母上様」を歌ってください。と言ってくれたので最後に華さんの為に歌いました。

「親愛なる母上様」のアルバムにはそんな裏話があります。そしてあかぶちの眼鏡は華さんへ捧げた歌です。「ずっといつまでも」はアルバムのカラーに合わないのですが、華さんが一番好きだった曲だったので入っています。