2008年のコンサート

2008年は旅に出てから初めて歌を歌った年でした。1月2日にお母ちゃんと出会って、6日には勝手にコンサートが企画されていました(笑)一人で歌うなんてとんでもないと最初は断りましたが、もう既にお母ちゃんの周りの人たちが集まって来ていて、断れない状態でした。歌詞を覚えるのがとても苦手なので歌詞を見ながらという条件で親愛なる母上様を広島ルーテル教会で歌いました。お母ちゃんの仲の良い人たちが集まり、へたくそな歌を聞かせてしまいました。暗いスタジオで黙々と音楽を作るのが仕事だった僕には一人で人前に出るのは苦痛以外のなにものでもありませんでした。しかし、充実感はありました。

君田の大根コンサート

歌い始めて初めて頂いたギャラは大根でした。お母ちゃんを震災直後から寄り添ってくれた広島市から北はるかにある君田在住の大根オバチャン。地元の人を集めてコンサートをしてくれました。相変わらずへたくそな歌をマイクもなにもなしで歌いました。お母ちゃんの事も手紙の事もよく知っている人たちだから受け入れてくれたようなもんで、何も知らない人が聞いたらただのへたくそな歌にしか聞こえなかったと思います。もう必死でした。

加古川西村恭子さんホームコンサート

西村さんはお母ちゃんと仲良い詩人、作家さんです。加古川に行き彼女の家でコンサートをしました。初めて出会うのにとても仲良くしてくれてあの手紙を歌にしてくれてありがとうと言ってくれました。西村さんは今でも親しく音楽家として旅人として「上に向かうのではなく、幹を太くしなさい」と一生もんのアドバイスをくれました。高砂市の国道整備のため切り倒されそうになったケヤキの木を守る運動も長年してきて、木という存在をとても大事にしている方です。「マサクンも長い時間をかけて、深い細い根っこをたくさん生やし、あわてて上を目指して細い幹をのばすのではなく、太く、強く、ゆっくり上を向いて歩いていって欲しい」と言ってくれました。「手の届く範囲で、無理をせず、一つ一つを大事に」。以来、旅の約束にもなり、時間をかけて音楽道を進む事ができました。その後であったサッサー先生がつとめる伊保小学校では初めて「こんにちはの曲」をして、以来コンサートでは必ずする曲になりました。サッサー先生が作ったくれた電源タップを支える木の装置は今も一緒にいます。

四条畷

四条畷のパークヒルズ田原苑の施設長の前原さんは西村さんの紹介で出会いました。お年寄りの人たちに音楽を聞いてもらい、恐れ多く、ドキドキし、けど、そんな人生の先輩たちががんばってねと言ってくれたのは一生忘れません。以来四条畷は高齢者施設での慰問コンサートの修行の場となり、2012年には前原さんの知り合いの関西医学大学教授の三宅真理さんとのコラボで「一緒に踊ろう」ができ、今では全国の老人、福祉施設でコンサートができるようになりました。基本的に福祉関係は奉仕であり、慰問で、心の安らかさと心の充実感は最高の報酬です。