出発の時に親に宛てた手紙

お父さん、お母さん。この2ヶ月程ずっと考えていました。人生の事、日本に来てからの事。
思えば7歳の時から13年間住んだシンガポール、そして10年間住んだアメリカを経て衝動的に来た日本で生きて行く目的を見失っていました。最初はおかしくなっている日本で音楽の力を試したいなんて大きな目標を持っていました。それが生活の厳しさ、仕事をもらう事の難しさに直面しこの4年間がむしゃらに音楽の仕事を追い求めて来ました。今では音楽の仕事で食っていく事はできたもののずっと心の中で虚しさを感じていました。

僕はとても甘い人間です。とても自分勝手な人間です。

自分の夢を後回しにして4年間過ごして来ましたが、どうもだめなようです。

体の皮膚はボロボロです。ストレスなのか、気候があわないのか、この数年直る気配がありません。

人間にはたくさんの種類があるそうで、住居定住型、放牧型、狩猟民族型。。農作民族の多い日本は定住型の生き方を好む人が多いそうな。
僕はどうやら同じところにずっといるのが根っから苦手なようです。1年以上同じところに住んでいると体の調子がおかしくなってイライラして来ます。しかも僕の仕事は家のスタジオでする事が多いのでなおさらつらくなってきます。それでも我慢して来ましたが限界になってきました。

2007年の9月に僕は住居を持たない生活をする事を決めました。車で移動しながら生活をするのです。放浪の旅です。いろんな所に行って、いろんな物に触れて、いろんな物を食べて、いろんな経験をして、いろんな人に会って、話して、聞いて、いろんな自然に触れて、そんな生活をする事にしました。

そして老人ホーム、病院、恵まれない人たちの施設などを手当たり次第訪問してピアノを弾かせてもらおうかと思っています。懐かしい曲でも歌わせてもらおうかなと。

海外で育ってしまった僕には人生で一生後悔する事が一つあります。それはおじいちゃんとおばあちゃんを大事にしなかった事。そして誰の死に目にも会えず、葬式すら行っていない事。仕方ないと言えばそれまでですが、それでも大人になった今、少しだけおじいちゃん、おばあちゃんの気持ちを想像すると涙が出てしまう位悔しい思いです。

都会に住んでこの厳しい世の中を生きていると自分の事ばかりに精一杯になってしまいます。前を向いて生きて行く事が大切なのであれば、後ろを向く事も隣を向く事も同様に大切だと思います。

僕の中で大事にしたいと思う物は古き良き日本です。民謡だったり、方言だったり、郷土料理だったり、母なる自然だったり。。
今の生活ではほとんど必要ない物ばかりです。そしてそれらを良く知っていて、習得しているのはおじいちゃんおばあちゃんで。。
言ってみればおじいちゃん、おばあちゃんこそが日本の心であり、日本の宝なんではないかと思うんです。

友達から13万キロ走っている平成4年型のスズキのジムニーを譲ってもらいました。
10月の15日付けで1年半住んだ中野区沼袋の防音室型のマンションを解約します。
東京の生活の中でたまっていった贅沢品は全部処分しました。(車につめないから。。。。)

一番重いのは音楽の機材です。これだけは頑固にこだわって行きたいです。服を捨ててでも良い機材は持って行きたい。

ジムニーはオフロードの車なのではっきり言って乗り心地は普通の乗用車に比べると良くありません。舗装された道でも揺れるし速度もそんなに出ません。けど十分に走るし頑丈な車です。荷物はそれほど乗りません。だから持って行くものは制限されます。
ナビは携帯のナビしか使いません。むしろ使わないつもりです。そして高速道路はなるべく使いません。賛否両論あるとは思いますが僕は今の日本の政治にとても不満を持っています。お金を持っているごくわずかな人たちが和気あいあいと自分たちの良いような国作りをしているだけの様な気がしてなりません。年金問題とかいいながら各地に年金会館とかいう何億もかかる施設が立ち並び、私たちの税金はお役人の遊びに使われている。。。そんな国に高速道路の高いお金は払いたくないです。苦労してでもいいから、何時間かかってもいいから下道を走ります。

僕のミッションはあらゆる所で日本の良い所、すばらしい自然、すばらしい人たちに会い自分なりににこにこ新聞で伝える事です。そしておじいちゃんおばあちゃんに孝行をする事です。

具体的な事は決まっていません。やっていくうちに道を見つけるつもりです。

不安と恐怖でいっぱいですが、やりたいように、生きたいように、進んでいくつもりです。

両親、親戚、周りの大事な人たちには迷惑をかけるかも知れないのに、好きなようにさせてもらっている事、理解を示してくれた事に感謝してます。33歳にして、今まで培ってきた物をしょって、新しい生き方を始めます。

2007年10月15日
奥野勝利